太閤水(福岡県新宮町)




太閤水
天九州を平定した豊臣秀吉が、大阪への帰路ここで馬を休め自ら清水を汲んで飲んだ所です。九州に勢力を伸ばしていた島津義久に対し、立花宗茂助けるため、秀吉は軍を自ら率いて九州へ乗り込んできました。茶人『津田宗及(千宗易“利休”)』は三代の里で水を求めましたが、あまり良い水ではなかったので自ら井戸を掘り湧き水を得ました。秀吉はこの水を飲んでたいそう喜び、掘った者の名を聞き、即座に『宗及水』と名付けました。その後、京都大徳寺の江月和尚(宗及の子)が立ち寄った際に『飯銅水』と改められましたが、後世に石畳の井戸場が造られ太閤秀吉にちなんで『太閤水』と呼ぶようになったそうです。
福岡県新宮町太閤水

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太閤水の井戸


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蛇口


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